何者かにならなきゃという焦りと小説を書くことについて

どうも、会社やめたろー(@kaishayametarou)です。

私は、かなり小さな頃から「何者か」になりたいと思って生きてきました。

「何者か」というのが何者かということはうまく表現できませんが、箇条書きで書くと

・努力が身を結んだ人

・才能が評価された人

・何かの分野で有名になった人

こんな感じの人たちです。

「何者か」の定義は人それぞれだと思いますが、共通でイメージしやすい言葉で言えば「成功者」ということになるかもしれません。

例えば「村上春樹」先生は何者かです。「手塚治虫」先生も何者かです。「黒澤明」監督も何者かです。

ちょっと身近な例で言うと、「イケダハヤト」さんも何者です。「はあちゅう」さんも、「堀江貴文」さんも。

つまり、なにかの分野で努力し、才能を開花させ、有名になった人。成功を納めている(少なくとも他者からはそう見える)人。

そういう人が「何者か」です。

私は「何者か」になりたくて仕方がありません。小さな頃からずっとそうです。

「みんな」に埋没する気なんてさらさらありません。

私が最近はまっている、「左ききのエレン」という漫画に、こんな一説があります。

引用元:左ききのエレン(1): 横浜のバスキア
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女の子に馬乗りになられている男の子が主人公の光一くんなのですが、彼の気持ちが痛いほど分かります。

私も「何者か」にならない人生なんて考えたことすらありません。

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「何者か」が何かは、変わってもいい

「何者か」がどういう人なのかという私の中の定義はかなりコロコロ変わっています。

最初は漫画家になりたかったですし、そのあとは脚本家、そして現在は小説家になりたいなと思っています。

つまり、「何者か」の中身はなんだっていいんです。

しかし「何者か」には絶対なりたいという渇望があります。

一体なにがきっかけになったのかは今となっては覚えていないのですが、私は小さい頃からそんなことを考えている子供でした。

ちなみに「何者かになれないかもしれない」ということはあまり考えたことはありません。

私は無駄に自分に自信があるので、「何者か」にはいつかなれると思っています。

それはもしかしたら小説家ではなく、映画監督だったり、はたまたyoutuberだったり、一周回って漫画家なのかもしれませんが、とにかく「何者か」にはなれると思っています。

齢30歳にして、なんの疑いもなくそう思っています。それはちょっとお得な特性だなと自分では思っています。

しかし、「早く何者かにならなきゃ」という焦りはあります。

何者かになりたいなら休むな! という声

私は「何者か」になるなら、早い方がいいと思っています。

例えば小説家であれば、自分の作品が広く世に知られ、編集者の方とやりとりをするようになると、恐らくさらに小説がうまくなると思います。

作品が広く知られれば、作品に対する様々な意見を聞くことができるでしょう。

編集者がつけば、様々な角度から作品に対する意見をもらえるでしょう。

そして、私がプロになれば、周りにもプロの人たちの姿が見えるようになるでしょう。

それは懇親会みたいなものなのか、編集者の方に連れられて行った飲み会なのかは分かりませんが、一流の人との接点を持てるようになると思います。

そしてこうした要素が積み重なって、もっと高みに登っていけるのだと思います。

だから、「何者か」になるなら早い方がいいと思っています。

私の人生は有限なので、高みに登るなら早い方がいい。

だから、早く「何者か」にならなきゃいけないという焦りがあります。

休んでいると「何者かになりたいなら休むな!」という声が聞こえています。

それに対して自分がなにができるのかというと、それは当然「書くこと」です。

だから書きます。頑張ります。

まとめ

「一つの記事としてまとめよう☆」という気持ちが1ミリもない記事になってしまいました。

「何者か」にならなきゃという焦りは、きっと誰しも持っていると思います。

それが小説家や漫画家、映画監督などそういう類のものではないとしても。

いいお母さんにならなきゃ、できる会社員にならなきゃ、歌手にならなきゃ、しっかりとした人間にならなきゃ。もうなんか色々です。十人十色です。

そういう人たちが持つ焦り。それに対抗する手段は、やはり努力しかないのだと思います。

頑張っているのに、さらに頑張る。それにしかないと、私は思います。

とりあえず私は書こうと思います。

やめたろーでした。

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