一人でいる時間がきちんとあるからこそ他人と向き合うことができるようになる

その場のテンション

どうも、会社辞め太郎(@kaishayametarou)です。

 

先日、フリーライター界のホイミンこと、マツオカミキさん(@matsuo_mk)がこんなブログを書いていました。

 

 マツオカミキ 
ひとりでいる時間が好き : マツオカミキ
http://lineblog.me/matsuokamiki/archives/13326.html
小さい頃から、大人数で群れるのが苦手。表面的な付き合いをするのがヘタ。女の子は大人数で行動することも多かったので、中学高校と7人とか10人とかで行動してたことがあったけど、ずーっとそこにいると苦しくなっちゃって。もちろん好きだから一緒にいるんだけど、...

 

同意しすぎて禿げそうだったので、私も「一人でいる時間」について書いてみようと思います。

 

一人でいる時間が好きすぎる

一人でいる時間が圧倒的に好きです。

 

ざっくばらんに言うと、一人でいると完全に自由ですよね。

 

本を読んだって良い、寝転がってとんがりコーンを食べても良い、ゲームをしても良い、突然それをやめても良い、ふらっと散歩に出かけても良い。

 

もう、その、心が空を飛ぶような圧倒的開放感が、私はとても好きです。

 

そして、「一人でいる時間」は癒し以外にも、もっとシリアスに私には必要だと思うのです。

 

それは、生き方を見失わないためです(ポエム始まったゾ)

 

私は頭があまりよくないので、時々「人生とは?(キリッ)」みたいなことをじっくり考えないと、一体自分がなにをやりたいのやら、どうなりたいのやらを見失いがちです。

 

一日中人と付き合って、人の思考ばかりを頭に流し込んで、帰ってきても人の書いた文章を読んでまた思考の波を受け止めて。

 

そんな風にしていると「あれ? それで結局、俺はどうしたいんだっけ?」というのがわからなくなってしまう。

 

そういう時に、一人でいる時間があると、自分の頭で考えて「自分はどうしたいのか」ということをしっかりと認識させることができる。

 

一人でいる時間が全然取れないと、本来はこうありたいという考えが、人の思考でかき消されていってしまうのです。

 

ですから、会社員として働いていて、帰っても妻がいたり、もしくは結婚前でも家に帰って他人のブログを読んだり、2ちゃんねるのまとめサイトを見たり、なにかの動画を観たりしてしまって、自分一人だけでじっくり思考をする時間が取れなかった時は、結構自分を見失っていました。

 

だから、たまの休みには必ず一人だけでいれる時間を確保するようにして、自分の羅針盤を調整するようにしていました(※これはポエムです)

 

そして今、フリーランスとして働き始めて、一人でいる時間を容易にとることができるようになりました。

 

一人でいるだけできちんと考えないと結局見失うものは見失うのですが、少なくとも思考する時間は取れるようになりました。

 

ですが一方で、一人でいすぎるのもこれまた問題なのです。

 

一人でいすぎるのもダメ

一人でいる時間が長すぎると、それはそれでダメだな、とも思っています。

 

なぜなら「頭でっかちになってしまうから」です。

 

なんというか、ずっと一人でいると、だんだん「自分って頭良いなぁ」みたいな感じになる時があるんです。

 

思考する内容が自分の頭の中だけで生まれてきたものなので、思考がどんどん合理化していってしまって、「自分は何事にもすぐ考えを持つ事ができてすごいなぁ」みたいな錯覚をしてしまうのです。

 

でも、それは自分一人で考えていて、出てくる疑問も考え方も一定だから、思考パターンの選択肢が少なくなってきているだけなのです。

 

だから、一人でいる時間が長すぎると、他人を自分の思考パターンに当てはめようとしてしまうようになる。

 

そして、自分の思考パターンから外れるようなすごいことをやっている人がいると、その人をなんとかしてこきおろそうとするようになる。

 

なぜなら、そういう人の存在は、統制された「やめたろー帝国」みたいな自分の頭にとって、受け入れたくないノイズだからです。

 

なんというか、「ドラえもん のび太の海底鬼岩城」のポセイドンみたいなというか「ドラえもん のび太のブリキの迷宮」のナポギストラー一世のような。

 

そしてそんな頭でっかちな自分をぶち壊すには、他人と会って話をするのが一番良いと思います。

 

パソコンで人のブログとかを読んでいるだけだと、自分の思考パターンに当てはめるだけの時間的余裕があるので、効力は薄い。

 

それよりは、他人と会って、「会話」という自分の思考時間を短くせざるを得ないコミュニケーションをとって、それによって他人の思考を刺激として頭に受け止める。その体験が必要なんだろうなぁと思います。

 

一人でいる時間が増えたから他人と向き合うことができるようになった

そんな感じで、「他人といる時間の重要性」も自覚することができるようになったので、最近はなにかきっかけがあれば他人と会うようにしたいと思っています。

 

一人でいる時間が少なかった時は、他人と会うのが煩わしくて仕方がなくて、きちんと他人と向き合う事ができていなかった気がします。

 

しかし今は、一人でいる時間が増えて、他人と会う事の必要性や重要性をきちんと知ることができたので、他人ときちんと向き合えるようになったのです。

 

ちなみに、「結婚しているとパートナーがいるから他人と会っているじゃないか」と考えた時期もありましたが、それは違いました。

 

結婚すると、パートナーとはとても長い時間を過ごすことになります。結婚一年目の自分ですらそうなのですから、結婚歴が長い方ほどそうだと思います。

 

そうすると、パートナーの考える事というのもある程度わかってきて、パターンができてきます。もちろん、パートナーを100%理解することができるとまで言うつもりはありませんが、自分とパートナー二人だけだと、結局は世界が狭くなってしまう。

 

ですから、そう考えると「他人」と言っても、初めて会う人をどんどん増やしていった方が良いのだと思います。

 

初めて会う人にガンガン会う事は、まだ私にとってハードルが高いので徐々に頑張っていこうと思います。

 

そしてそれと同時に、きちんと自分一人で「生き方とは?(キリッ)」と考える時間も大事にしておこうと思います。

 

おわりに

マツオカさんがとても良いブログを書いていらっしゃったので、触発されてやたらと書いてしまいました。

 

これも、ブログを読んで他人の思考を良い受け止め方をできた例だと思います。

 

最近、忙しさ、というか怠惰にかまけて人のブログを読んだりその他の文章を読む事をおろそかにしてしまっていたので、今後はもっと積極的に他人の思考を摂取していこうと思います。

 

今日のブログはとてもポエミーなのでした。

 

参考記事

 マツオカミキ 
ひとりでいる時間が好き : マツオカミキ
http://lineblog.me/matsuokamiki/archives/13326.html
小さい頃から、大人数で群れるのが苦手。表面的な付き合いをするのがヘタ。女の子は大人数で行動することも多かったので、中学高校と7人とか10人とかで行動してたことがあったけど、ずーっとそこにいると苦しくなっちゃって。もちろん好きだから一緒にいるんだけど、...

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