どうも、会社やめたろー(@kaishayametarou)です。
私はよく
「すごい!」
とか
「すごいですねぇ〜」
とか言います。
「いやぁ〜尊敬するわ」みたいなこともよく言います。
でも、そうやって相手のすごいところを受け入れて賞賛している風に見せかけて、じつはめちゃくちゃ悔しがっていたりします。
「なんだよ、自慢かよ」
とか
「なんであいつだけ。運がよかっただけだろ」
みたいな、あまり書き起したくないような汚い感情が渦巻くことがあるんです。
(今日のブログは若干ポエミーな感じになると思います)
「すごい!」とか言いながら本当は悔しいんです
会社員のころ、自分の同僚や後輩等いわゆる「目上の人じゃない人」と話をしている時、
「そういえばこの前○○さん(社内や社外のすごい人)と飲んじゃって、いろいろ教えてもらっちゃった」
とかそういう報告を受けることがありました。
そんな時、私は
「えー、○○さんってあの○○さん? すごいじゃん!」
とかなんとか言ってヘラヘラ笑っていました。
でも本当は悔しくてしかたなくて
「いちいち言わなくていいよ! 自慢すんなや! ちくしょー!」
みたいなことを思っていました。
今でも、たとえばライターの方がtwitterで
「今日は○万文字書きました!」
「今月はけっこう頑張って稼いだ」
「○○さん(なんかすごい人)とオフ会した」
とかつぶやいていると
「んにぎィー! くやちい!」
となったりしています。
自分より全然後にブログを始めたブロガーの方が
「収益10万円突破しました」
「十分に稼げるようになったので、そろそろpvを追うだけじゃない記事を書いていこうと思います」
とかつぶやいていると
「すかしてんなや! 悔しいよぉ!」
みたいに思っていたりします。
でも、キーボードで「えー、すごい!」とか打ってリプライしたりしている。
「すごい!」けど、悔しい。の、その先へ
私はこの「すごい!」とか言いながら実はすごく悔しがっている感情があまり好きではありません。
それは「妬み」「嫉み」に他ならないからです。
汚らしい感情だなぁと思っていました。
しかしこの記事を書く上で、「それは嫉妬でした」で終わらせることはないだろうと、これらの感情についてよく考えてみました。
朝起きて、まだ目が半分開いていないような状態で熟考していました。
そしてその結果
「すごい!」けど、悔しい。の、その先へ行きたい
というやけにかっこよさげな結論に辿り着き、その時には完全に目が開ききっていました。
「すごい!」は嘘でもいい
なにかうらやましい事に対して「えー、すごい!」と言えたり「すごいですね!」とリプライを飛ばしたりできたときは、とりあえずそれでいいと思うことにします。
じつはその裏にモヤモヤした気持ちが渦巻いていたとしても、「え、だからなんなの?w」「自分に酔っちゃってますねw」みたいに攻撃をせずに、とりあえず100%その感情でなくても、極端に言えば嘘でも「すごい!」と言えたらそれでいいんだと思うことにします。
それに、実際「すごいなぁ」と思っているわけで完全に嘘にはならない。
少なくとも、
「悔しいから攻撃したい! 貶めたい!」
みたいなひどい感情には打ち勝つ事ができた。まずはそれを自覚して
「よしよし冷静だったなぁ。えらいえらい」
と自分の頭をなでることにします。だいぶ甘いですが、まずはこうしてみます。
ネガティブを受け入れてポジティブに
そして、そこまで行ったら次はそのモヤモヤした気持ちを前向きなエネルギーに変えようと思います。
とりあえず、そのことについて悔しいのはわかった。けど、じゃあなんで悔しいんだろうと考えれば、それは突き詰めれば「憧れ」なんだと思います。
悔しいということは、うらやましいということは、自分もそうしたい・なりたいと考えているということです。
であれば、その人やその行動はお手本です。
そうした人や行動こそが自分が本当はなりたいと思っている姿を具現化したものなのです。
そのことに気づき「悔しい!」というエネルギーを、自分が一歩前進するためのエネルギーに使う。
そのようにして「すごい!」けど本当は悔しい気持ちとお付合いしていこうと、そんな風に思っています。
まとめ
やはりだいぶポエミーな内容になってしまいました。
でもこういうのはけっこう久しぶりなので楽しかったです。
書いていて、指がサンジの足みたいに燃えているようなそんな自分に正直で熱い文章を書き起こせたと思います。
こういう記事はビジネスとしてのブログの観点で考えると、将来的な資産にはなりづらいものだと思いますが、書いていて楽しいし、なんだか自分の感情と文章のチューニングになるような気がするのでまた書こうと思います。
だんだん空が白んできたので、とりあえず味噌汁でも温めようと思います。
コメント