「悩みどころと逃げどころ」書評感想、その2。社会における「競争の原理」について

本の感想

(画像引用元:「悩みどころと逃げどころ」 http://amzn.to/2u4Bhhr)

 

どうも、会社やめたろー(@kaishayametarou)です。

 

前回に引き続き、「悩みどころと逃げどころ」の感想を書いていきます!

 

 

こちらの本は、あの有名な社会派ブロガー「ちきりん」さんと、世界最強の格闘ゲーマー「梅原大吾」さんの対談集です。

 

社会に存在する“本質”について、徹底的に議論されています。

 

今まで私が考えもしなかった、社会の「これってどうなんだろう」というところに、ちきりんさんと梅原さんが切り込んでいきます。

 

一度で感想を全て書くことは難しいと思うので、何回かに分けて書くと思います。

 

またテーマが色々と移り変わるので、とりとめのないレビューになってしまうかもしれませんが、ご容赦ください。

 

前回の記事はこちら

学校は社会性を身につける場所

前回に引き続き、「学校の教育」についてお二人の議論が白熱しています。

 

ちきりん
確かに日本の学校って規律を厳しく教えますよね。
遅刻しない、掃除をさぼらない、給食をキレイに食べる、それにトイレをキレイに使いましょう。

 

ウメハラ
でしょ。学校って思考力をつけるだけじゃなく社会性を養う場でもあって、その面では日本の教育は非常に質が高いと思います。

 

引用元:「悩みどころと逃げどころ」 http://amzn.to/2u4Bhhr

 

 

前回の記事で書いたように、現在の学校教育は「考える力」を養うことができないとしつつ、学校は社会性を身につける場として非常に優れているとしています。

 

私は社会性なんて学校じゃなくてもどこでも身につけられると思っている派ですが、確かに学校というミニマムな社会に強制的に放り込まれることによって社会性を身につけるのは効率が良いことだと思います。

 

その一方で、社会性を身につけることにもともと向いていないような人に対するフォローも必要だと思います。

 

多くの人は社会性を難なく身につけられますが、どうしても性格的に難しいとか、もう根本的に社会性を身につけることに向いていない人もいます。

 

そういう人が学校に行かなくなった時に「はい不登校。はい劣等生!」と”社会性の欠如”という性格面だけでその人の全てを否定されるような状況はなんとかできないかなぁと思っています。

 

社会に出たら競争にさらされるという真理

 

 

ちきりん
学校は、「健全な競争の結果、勝者と敗者が出る」ってことさえ極端に嫌うコミュニティではありますよね。
人間はもともと能力にも差があるし、努力の量や質が違えばさらに差がつくってことを、早くからわからせたほうがいい?

ウメハラ
ええ。生きていく上では闘って勝たなきゃならないんだって、できるだけ早い時期から教えたほうがいいと思う。ダメですかね?

 

引用元:「悩みどころと逃げどころ」 http://amzn.to/2u4Bhhr

 

これもまた、本質的な話だと思います。

 

人間にはもともとの素質に差があって、そこに「いかに努力できるか」という要素が加わってその人の能力が決まる。

 

そしてその能力を持ってして人は社会で闘い、生きていくことになる。

 

学校には存在しないけれど、社会には存在するその真理について、学校教育の場でも教えるべきだ、ということだと思います。

 

誰も表立っては言わないけれど、社会に出ればどうしたって競争をする必要があります。

 

フリーランスだって、他の人より能力が優れているということを証明して仕事を獲得する必要があるので、そういう意味で他の人と競争をしているわけです。

 

そういう、社会における競争の原理を学校教育の場で教えるべきだ、とお二人は話しています。

 

 

ウメハラ
今は学校で「弱者に優しくしましょう」「みんな仲良くしましょう」って教えておいて、社会に出たとたん、「フッフッフ、実はあれは建前でな。世の中違うんだぜ」って言ってるみたいなもんですよ。

 

引用元:「悩みどころと逃げどころ」 http://amzn.to/2u4Bhhr

 

普通、この事に気が付けるのは、就職活動を始めたときくらいなのかなぁと思います。

 

就活では否応無く他の人とシビアに比べられ、優劣をつけられますから、ものすごく消耗する。

 

そこまで消耗するのは、それまでそういう競争があるなんて教えられていなかったし、むしろ「みんな仲良くしましょう」という、ある意味対局にある考え方ばかりを教え込まれてきたので、そのギャップに驚くのだと思います。

 

そしてさらにそこで「社会に出たら、もっとキツイぞ」みたいに脅されてもう完全にやる気をなくしてしまう。

 

しかしその時に、学校で様々な「競争」を経験していて勝ったことがあれば「まぁ就活で勝てなくても他の方法で勝てばいいか」という発想になります。

 

学校における様々な「競争」とは、「勉強ができる」という単純な競争だけではなく、「誰が一番力持ちなのか」「誰が一番文章が上手いのか」「誰が一番絵がうまいのか」「誰が一番ゲームがうまいのか」といったような、とにかくたくさんの競争です。

 

そういう競争に慣れておくことで、もし就活という競争に勝てなそうでも「まぁ他のなにかで勝てばいいか」という発想が生まれる。

 

新卒フリーランスなんていう言葉が出てきましたが、今はまだ「就活がダメだったら終わり」みたいに考える人がたくさんいるのは、様々な競争に慣れていないからだと思います。

 

社会で生き残る武器をいつ得るのか

 

 

ちきりん
人って、みんな中学生くらいには頭角を現してるでしょ?
でも実は私、それって普通の子も同じだと思ってるんです。

レベルは違うけど、14歳にもなったら自分が好きなコト、適性があるコトは、おぼろげながらわかり始めてる。
でもレベルがそこまで高くない子は、ホントにそれが自分の道なのか、今すぐ確認しろと迫られたりはしない。

だから何も選ばずに、みんなと同じコトをやり続ける。

 

引用元:「悩みどころと逃げどころ」 http://amzn.to/2u4Bhhr

 

社会に出ると圧倒的に突き抜けている事が価値になりますが、学校で教育を受けているうちにそこまでの努力をできる人はそう多くありません。

 

とりあえず授業を受けて、勉強していれば学級は進んでいきますし、特に問題がないように扱われる。

 

しかしそうやって生きてきて、いざ社会に出た途端「あなたの強みは?」と聞かれたりして、慌てて自分の秀でているところはどんなところなのか考え始める。

 

でもその頃には自分が何に秀でていて、頭角を現していたのかなんてまるで覚えていない。

 

だから、とりあえずどこかの会社に入ってそこで働くことで少しずつ自分にはなにができるのか、なにが得意なのかを自覚していくという、遠回りをします。

 

私自身、とりあえず会社で数年間働いてようやく、「あぁ自分は大人数で一緒に働くことに向いていないし、文章を書くことに秀でているんだ」と理解してその能力を伸ばし始めるという遠回りをしています。

 

実際、小学生の頃から作文が得意で、作文の時間が終わって給食の時間になっても書き続けていたようなある種の特性がありましたし、誰に強制されるわけでもなく、中学生の頃にはホームページを開設してそこに日記のような文章を毎日のようにアップしていました。

 

しかしその特性が伸ばすべきものだと自覚することなく学生生活を送ってきましたし、ましてやそれが社会で戦う上での武器になるなんて思ってもいませんでした。

 

しかし実際今、こうしてほぼ「文章を書く力」のみで生きている。

 

学校における教育の段階で、自分の進むべき道をはっきりと自覚させ、それに向かって努力させる環境が必要だと、本書には書かれています。

 

そのための「様々な競争」なのかもしれませんね。

 

まとめ

また長くなりそうなので、一旦ここで切ります。

 

同じ本についてここまで感想を書くのは初めてですが、それだけ中身が濃い一冊になっていると思います。

 

なんだかシリーズ化しそう。

 

また次回に続きます。

 

前回の記事

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