教師に「俺がおまえらくらいの歳ならなぁ」と責められても、正直意味不明だよね

その場のテンション

どうも、会社辞め太郎(@kaishayametarou)です。

 

最近、外で仕事をしていると、大学生や高校生をよく見かけます。

 

みんな、すげーどうでも良い話をしているし、「他にやる事ねぇのかよ?」ってくらいスマホのゲームをしている。

 

そんな姿を見て

 

「あぁ〜今、学生だったらあれもしたいこれもしたい。金稼がなくていいんだからブログ記事書きまくったりできるな。ヒョー羨ましい」

 

とか考えていたのですが、学生時代に過ごした無駄な時間って、けっこう大切なんじゃないかと思い直しました。

 

国語の先生が言っていた「俺がおまえたちの歳だったら云々」の無意味さ

中学校の頃、国語の教師がよく

 

「俺がおまえたちの年齢なら、やりたい事いっぱいあるぞ。羨ましいよ。おまえらも、なにかやれよ!」

 

みたいな事を言っていたのだけれど、当時は「何言ってんだこいつ」と思っていた。

 

そして今、その国語の教師の言葉も分かるようになった反面、「そんな事言っても分かるはずない」と思っています。

 

時間の大切さは、社会人にならないと分からない

学生の頃は、どうして周りの大人が「いいなぁ学生は」と言っているのか分からなかった。

 

「そんだけ時間あったらなんでもできるじゃん。ゲームとかやってるのもったいないよ」

 

とかよく言われた。

 

その度に

 

「うるさいな。だったら自分もそうすればいいだろ」

 

と思っていた。

 

社会人になって会社に出るまでは、自由ってことがどれだけ大切なのかも分からなかったし、「秒速5センチメートル」的に言えば、先の人生が茫漠すぎて、なにをしたらいいのか分からなかった。

 

尻を叩かれないと、分からない。実際歳をとってみないと、分からない。

 

そして、今の歳になって、学生時代に無駄に過ごした時間、つまり、徹夜でゲームをしたり友達と馬鹿な話をしたり、消費するだけでなにも生産的じゃなかった時間。

 

それが無駄だったのかと思うと、全然そうじゃない。

 

今でも「あの頃は楽しかったなぁ〜」と懐かしくなるし、たまに友達と再会すると、昔の話で盛り上がれる。それが私にとっては癒しとなる。

 

そして、そういう時間への郷愁みたいな気持ちって、今の自分の原動力になっている。

 

つまり、「もう一度人生をめっちゃ楽しみたいな」という願望になって、私を突き動かしている。

 

あの頃の自由を諦めたくない。もう一回味わいたい。

 

だから私はフリーランスになったし、ブログも書いている。

 

会社員のままじゃ時間の自由が手に入らないと思ったから、フリーランスになった。

 

毎日働かなくても稼げる仕組みがあったらいいなと思ったから、ブログを書いている。

 

仕事も、好きな事を仕事にしたいと思っている。「仕事はつまらないもの」と諦めていない。

 

そう思えたのは、自分の好きな事を自由にできた、あの学生時代の楽しい時間があったからこそだと思っている。

 

だから、スマホばっかりいじってたり、公園でわざわざDSとかやっている子供を見ても、全然叱る気になれない。

 

今は、思い切り楽しいこと、やっとけ!! って思う。

 

羨ましいウホ!! とも思っている。

 

まとめ

どうしてこんな事を書いたかというと、昨日、

 

「もうダメ! 会社辞め太郎のライフはゼロよ! 意識的に休まなきゃ!」

 

と思ってスーファミの「かまいたちの夜」をやったんですよ。

 

そしたらすげー怖くて面白くて感動して、当時「かまいたちの夜」を一緒に徹夜してやった友達にLINEを送ったんです。

 

それで
「犯人あいつじゃなかった?」
「徹夜してやったよな」
「番外編の方が怖くなかった?」
みたいな、思い出話をしたんですね。

 

それが、私にとって、もの凄い癒しになりました。フリーランスになって、張りつめていた心を癒してくれました。

 

そして、また昔のように心から楽しい時間を過ごしたいと思いました。

 

だから、学生時代のあの無駄な時間たちが、無駄じゃないという事を書きたくて、書きました。

 

それにしても例の公園で一日中遊んでいる子供が羨ましい。俺もかくれんぼしてぇよぉ!

 

そんなお話でした。

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